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ピザーラ創業者、人生の転機を語る

『THE21』7月号の連載「ターニング・ポイント」にご登場いただいた、(株)フォーシーズの淺野秀則会長。あらかじめいただいていた時間をオーバーして、これまでの道のりや転機について語ってくださった。誌面では紙幅が限られており、すべてをお伝えすることができなかったので、本稿でノーカット版をお届けしたい。

淺野秀則,ピザーラ創業者,人生の転機
(写真=ピザーラ)

裕福な家に生まれたはずが、報われなかったピザーラ以前

――淺野会長は裕福なご家庭に育ったとうかがいました。

淺野 私の父は紙器メーカーの三代目で、私はその会社を継ぐはずでした。父は私に、「おまえは勉強よりも、人をまとめる力を磨いておけ」と言っていて、私はそのとおりにしていたのです。だから、学校の勉強は、あまり一生懸命にはやっていませんでした。

ところが、私が高校在学中に父親が倒れました。家はたちまち傾き、会社は人の手に渡ってしまい、もう大変です。しかし私には、頼れる先輩もいません。なぜって、「人をまとめる力」を磨いていたため、後輩はたくさんいたけれど、先輩はいなかったのですね(笑)。

家財を切り売りしながら大学に行き、在学中に起業しました。何不自由ない家に生まれたはずが、急転直下の下り坂を経験し、ハングリー精神が育っていたのかもしれません。

――学生起業では何をされていたのですか?

淺野 学生相手の旅行代理店をしていました。結構繁盛しましたよ。家に輪転機を置いて、チラシを刷って配って集客して。この方法、実は後で「ピザーラ」を始めたときに生きるのですが、当時は知る由もありません。大学を卒業した後は一度、企業に就職もしました。しかし、私はどうしてもサラリーマンになじめず、3ヵ月で退社してしまったのです。

――3ヵ月で退社されたのですか。その後はどうされたのですか?

淺野 結局、「ピザーラ」にたどりつくまでに、事業数でいえば10は失敗しました。いよいよ自分で稼がなくてはいけないと、飲食店、ウーロン茶の輸入販売、レンタルビデオ屋、様々なことに手を出しましたが、成功には至りませんでした。文字どおり身を粉にして働きましたが、何をしてもうまくいきません。借金も抱えたこの期間は、生易しいものではありませんでした。ご先祖様にとんでもない悪さをした人でもいたのだろうか、自分はどんな星の下に生まれてしまったのだろうかと、そんなことを考えてしまうほどでした。

中でも一番大変だったのは、経営していた飲食店で火が出て、体を張って火を消したものの全身やけどを負い、生死の境をさまよった挙げ句に1年半もの療養を余儀なくされたことです。その後もまた飲食店を再開しましたが、やっぱりもう一つでした。新しく始めたラーメン屋はそこそこ賑わったものの、夜、閉店後の片づけをしながら、「自分がやりたいのはこの仕事なのだろうか。自分の一生はこのまま終わるのだろうか」という思いが浮かんできて、頭を離れませんでした。

五里霧中の道で、具体的な目標が道しるべになった

――その後、日本中で愛されるピザを生み出す予感などはまったくなかったのですね。

淺野 ないです。まったくありませんでした。しかし、「一体なぜうまくいかないのだろう」「自分の天職はどこにあるのだろう」と悩みに悩む中で、二つのことが見えてきて、それが私の人生が変わるきっかけになりました。

一つめは、がむしゃらに働けど報われない日々を生きてきた私にとって、初めて具体的な目標が浮かんだ瞬間です。当時、総理大臣の年間の給料が約3000万円とか、そのくらいだと知りました。そのとき、こう思ったのです。「私は総理大臣にはなれないかもしれないが、月額300万円稼ぐということなら、ひと月に30万円儲かる店を10年かけて10店作れたら、総理大臣と同じだけ稼げるのだな」と。それを思った瞬間に、視界が開けました。目標が定まると突っ走れる、私はそういうタイプです。この具体的な目標が見えてからは、もう、迷いませんでした。

そのときには結婚していたので、1店舗で確実に30万円儲かる商売を夫婦で一緒に探しました。できれば、競合が入りづらいものがいいし、私の好きな飲食ならなおよし。儲ける額を決めて見わたすと、結構色々ありました。10万円儲かる店舗を30店舗でもいいわけです。とにかくアンテナは立ちまくりで、その「何か」を見つけようと躍起でした。結果的には、デリバリーピザが、そのアンテナにびびっと反応することになるわけです。

――もう一つはなんでしょうか。

淺野 二つめは、「ギブ&ギブできるようになりたい」という思いが湧いたことです。なぜ上手くいかないのだろうと考えていたとき、それまでの自分は「テイク&テイク」だった、と気づきました。人に会うときは、「何か儲かる仕事ないかな」と思いながら会う。お会いする社長さんたちはそれはもう大先輩ですから、お見通しです。「こいつ、困ってるんだな」と。それで助けていただくこともあり、とてもありがたかったですが、相手からテイクしようというだけでは、成功できるはずがなかったのです。そうではなくて、自分が「ギブ&ギブ」できるようにならなければ、と思い至りました。

このときに誓った思いは、現在の経営にも生きていると思います。たとえば「ピザーラ」のフランチャイズにおいては、どのようにすればお互いにとって最も幸せかを徹底的に追究しています。美味しいピザの焼き方など、研究に研究を重ねて編み出した技術をどんどん提供し、その結果、上げていただいた売上はCMに使うなどして、再び店舗へ還元できるようにしています。会社が儲かればそれでいいのではなく、「ピザーラ」ならば「ピザーラ」を通して、フランチャイズ経営者の方からお客様まで、関わる人すべてに幸せになってほしいと願っています。

――被災地でのご活動もされていますね。

淺野 被災地では、キッチンカーやバイクを走らせています。「ピザーラ」のバイクは三輪で、被災地で物資を運ぶのに適しているのです。だから、使わなくなったバイクを寄付しました。「ピザーラ」がない地域で「ピザーラ」のバイクが走っていることがあるのは、そのためです。また、キッチンカーとは、トラックを改造してピザを焼くオーブンや冷凍・冷蔵庫を搭載したものです。これが今、全国に9台あって、災害時に食事に困る地域が発生すると走らせています。

ピザは、なんといってもすぐにできるのが魅力です。それも、短時間で大量に作ることができます。このキッチンカーは、フル稼働すれば1台1日で2~3千食ものピザを作れるのです。それに、出来立てのアツアツを召し上がっていただける。これがすごく喜んでいただけるのです。お弁当やおにぎりだけでは、1週間で飽きてしまいますよね。アツアツのピザでひと時でも笑顔になっていただければという思いでやっています。

「ピザーラ」のキッチンカー

『E.T.』とデリバリーピザ。運命の出合いは映画館で

――「ピザーラ」創業前に抱いた想いを、「ピザーラ」を通して叶えられているのですね。では、いよいよ、宅配ピザとの出合いについてお聞かせください。

淺野 既にお話しした通り、「ひと月に30万円儲かる飲食系の商売」を探していた私は、当時、目白でレンタルビデオ屋を経営していました。そこへ次に入ってくる新作が『E.T.』だということで、「さて、何本仕入れようかな?」というとき、ちょうど、高田馬場の早稲田松竹で『E.T.』のリバイバル放映をやっていた。それを一人で観に行って、最初のシーンで出てきたのが、デリバリーピザでした。「これだ!」と思いました。

見た瞬間、私は昔、ハワイで食べたピザの味を思い出しました。薄い生地や厚い生地があって、アツアツのとろけるチーズが美味しくて、色々な具がのっていて……。そのとき宅配ピザはまだ日本になく、これは面白いぞと興奮しました。そのアイデアを忘れないように最後まで映画を観て、自転車を飛ばして帰り、そこからピザ研究の日々が始まりました。

記憶に頼って生地やソース作りに励みますが、これが本当に難しい。あまりに大変なので、そうこうしているうちに一足先に日本上陸した他社さんに、フランチャイズさせてくれないかと電話をしたこともあります。でも、当時は直営しかやっていなかったので、フランチャイズすることができなかったのです。

――そんなことがあったのですか。既に他社が入ってきていたのに、諦めようとは思われなかったのですか?

淺野 諦めません。「それならば我々は、さらに日本人向けのピザを、特に女性や子どもが喜んでくれるオリジナルピザを、自分たちの手で作ろう」と決意を新たにしました。そうして「ピザーラ」の1号店をオープンしたのが、1987年。「ピザーラ」という店名は、「ピザ」に「ゴジラ」の「ラ」をくっつけたものです。ゴジラのように、日本生まれで皆に愛される店になって欲しいとの願いを込めました。「ピザーラ」のブランドロゴは、開店当時、私が手描きでチラシに描いたものが元になっています。全部が手作りの、ゼロからのスタートでした。
マヨネーズを使ったピザや照り焼きチキンがのったピザ、カレーソースやタラコ味のピザなど、「ピザーラ」生まれのオリジナルピザは、こうして生まれたのです。あのとき、もしもフランチャイズできていたら、今の「ピザーラ」はなかったと思います。

「ピザーラ」1号店オープン当時の淺野氏

人気のカニグラタンシリーズは「ジョエル・ロブション」発!?

――1997年には売上高・店舗数ともに日本一を達成、今ではピザのみならず、和食にハワイアン、スパニッシュから高級フレンチ「ジョエル・ロブション」まで、56業態ものお店を経営されるまでになりました。

淺野 当時は想像もできませんでしたが、今はたくさんの業態があることが、私たちの強みになっています。「こちらの業態で成功したあの手を、あちらの業態でもやってみよう」と、そんなことを常に考え、実行しています。業態間で、アイデアをジャンプさせるのです。たとえば、「ピザーラ」のカニのグラタンピザは、「ジョエル・ロブション」レストランのシェフが考えたアイデアが実現したものです。こうした業態間のシナジーを考えたり実行するのは、個人的に最も面白いところだと感じています。

私は今でも、眠っている間にも色々なアイデアが湧き出てきて、夜中や朝に起きてメモをとるほどなのです。あまりにたくさんアイデアを出すので、社長である妻に叱られたり、社員に「そのアイデアは早すぎます!」と止められたりしています(笑)。いつか、私のアイデアが出てこなくなったらそれは、私がこの仕事を誰かに任せるときでしょうね。

――新しくてユニークな商品を生み出すコツはあるのですか?

淺野 お客様の「一歩先」を行くことが何よりも重要です。三歩も先を行ってしまえば、それは失敗します。社員が「早すぎます」と言うのは、そういうことです。

でも、私が1993年にスピーチをする機会があったとき、バジルなんていうハーブは誰も知りませんでした。でも私はスピーチでこう話しました。「10年後、皆さんは自分の好きなハーブを言えるようになっているでしょう。それに、自分の好きなチーズの種類、好きなワインも、言えるようになっているでしょう」と。
そしてそれは、現実になりました。もちろんバジルをうたったCMをじゃんじゃん流したり、そうやって時代を創っていくことは必要ですが、食というのは必ず進化するものです。「もう新しいものは何もない」ということはありえません。だから今も、面白い新商品を出しています。スーパーフード入りのピザ、「PIZZA-LA SUPER PLUS(ピザーラ スーパー プラス)」(※1)です。

これは今までにない新しいコンセプトのピザで、スーパーフードのアマニや全粒粉、ライ麦、小麦など6種類の穀物を独自に配合した、食物繊維が豊富な専用生地を使用しています。『キヌアとトマトのバルサミコジャム仕立て』に使用している特製トマトソースは、イタリア産有機トマトのほか、食物繊維・乳酸菌などが入ったオリジナルソース。トッピングにはたっぷりのフレッシュトマトを使い、トマトと相性抜群のバルサミコベーコンジャムを合わせました。さらに、ピザが焼きあがった後にもひと手間かけ、低脂肪・高タンパクのカッテージチーズと、スーパーフードのキヌアをのせて仕上げています。リコピンと食物繊維が豊富に入った、新たな味わいの“新感覚トマトピザ”です。

もう一品の『6種類のナチュラルチーズ&ハニー』には、コク深い味わいが特徴のナチュラルチーズを贅沢に6種類、たっぷりと使用し、フレッシュマッシュルームをふんだんにトッピング。さらに、オメガ3脂肪酸・食物繊維が豊富なクルミを後乗せして、香ばしさと食感を楽しめるように仕上げています。別添のアカシアハチミツは上品な香りと甘みで、お好みでピザにかけて味わいの変化を楽しめます。ピザーラならではのこだわりのおいしさはそのままに、健康へのこだわりをプラスした栄養抜群のピザなのです。

「PIZZA-LA SUPER PLUS(ピザーラ スーパー プラス)」 左:『キヌアとトマトのバルサミコジャム仕立て』 右:『6種類のナチュラルチーズ&ハニー』

――栄養価の高いピザとは、初めて聞きました。とくに女性に喜ばれそうです。淺野会長はまるで、未来が見えているようです。

淺野 好きな人や好きなものは、よく見ますよね。よく見れば、ヒントやチャンスはたくさん転がっています。なんでもヒントやチャンスになると言っても過言ではありません。私が『E.T.』を見て宅配ピザと出合ったように、映画には常に最先端の情報が詰まっていますから、映画を観ることだってヒントにつながりうるでしょう。

私は今、映画を観る時間はなかなかありませんが、やはり飲食関係の事象はなんでも好んで見ています。新幹線を使うときなどは、駅弁を見て回るのが大好きです。売店で、「どれが売れているかな」なんてことを考えながら見るのが好きなのです。たとえば今は、野菜が多く入っているお弁当から売り切れていると思います。昔は値段が安かったり、量が多かったりするものが人気でしたが、今は値段よりもサイズよりも、野菜です。「何種類の野菜を使っています」とか、そういうことが売りになるのですね。

挑戦は裏切らない

――淺野会長からは人生とお仕事を楽しまれているオーラがすごく感じられます。その秘訣はなんでしょうか?

淺野 とにかく私は、挑戦するのが好きです。もう挑戦しなくてもいいんじゃないの? と言われても、好きだから挑戦したいのです。私の周りにも、会社を上場させて、売却して、引退する人は多くいます。しかし私の場合は、「リタイアして何するの?」というのが正直なところ。せっかくこの世に生を受けたのだから、何かしたい。ずっとその思いでやってきて、今は毎日が面白くて仕方ありません。今だけでなく、『E.T.』を観てデリバリーピザに出合ってから、毎日が面白い。当然、経営をしていれば色々とありますが、全部ひっくるめて「楽しい」と断言できます。

どれだけ努力しても報われず、むしろ地に叩きつけられるような目に遭っていたあの日々。しかし、どんな目に遭っても挑戦だけはやめませんでした。そのしつこさが、私にチャンスを呼び寄せました。私にとっては宅配ピザが運であり、縁でした。

チャンスは常に存在します。大企業が揺らぐような波乱の時代も、逆に言えばチャンスに満ちた時代と言えます。波と波の間には、チャンスがあるのです。大波が来たら、潜ってかわせばいいのです。波が引いたらまた顔を出して、チャンスを探します。そうすれば必ず、自分にとっての「運や縁」と出会える。私はそれを経験から信じています。だから私は、挑戦こそが人生の醍醐味だと思っていますし、命あるかぎり挑戦し、ベストを尽くしたいと思っています。

これからも、大好きな飲食の仕事を通じ、世界がよりよくなるように、自分にできることをしていきたいと思います。

(※1)「PIZZA-LA SUPER PLUS」は、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、北海道、宮城県、新潟県、愛知県、大阪府、兵庫県、京都府、福岡県、熊本県の、ピザーラの一部店舗で販売中。
 
≪記事内の写真はすべてピザーラ提供≫

淺野秀則(あさの・ひでのり)
[株]フォーシーズ 代表取締役会長兼CEO
1953年、東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒。80年、輸入商社として(株)フォーシーズを創業。87年、東京都目白にピザーラ1号店をオープン。97年、売上高・店舗数ともに業界1位に。「TO THE HERBS」「KUA `AINA」「柿家鮨」「串かつ でんがな」等のカジュアル業態から、フレンチの名店「ジョエル・ロブション」まで、56業態もの飲食店を内包するグループに成長させる。(『The 21 online』2017年06月21日公開)

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