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後払い決済のパイオニア企業は、組織もユニークだった-柴田 紳(ネットプロテクションズ代表取締役社長)

2000年の立ち上げ以来、「つぎのアタリマエをつくる」という目標を掲げ、実現不可能と言われていた後払い決済ソリューション「NP後払い」を提供してきたネットプロテクションズ代表、柴田紳氏。今や年間流通総額は1,400億円にのぼり、利用金額・ユーザー数ともに右肩上がりを続けている。その驚異的な実行力と成長ペースに、さぞかしIT企業然としたクールな企業、CEOなのだろうと思いきや、取材してみると雰囲気は予想外。日本初のビジネスモデルの実現過程はもちろん、その組織創りのこだわりまで、斬新で快活な“ネットプロテクションズ流”を聞かせていただいた。

不可能と言われたサービスを実現した常識にとらわれない戦法

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(写真=The 21 online)

 

――まずは日本初の後払い決済サービス「NP後払い」について教えてください。

柴田 私たちが提供する「NP後払い」は、その名のとおり、ネットショッピングにおいてユーザーが「商品を受け取った後で支払いできる」サービスです。ユーザーの商品受け取り後にネットプロテクションズ(以下NP)が請求書を発送、コンビニ・銀行・郵便局でお支払いしていただけます。商品到着後の支払いのため安心ですし、支払窓口が多いので便利だとご好評いただいています。

一方、加盟店舗側のメリットとしては、NPが料金の未回収リスクを保証します。ネット通販において未回収リスクがないというのは売上向上に直結しますし、大変喜んでいただけています。

――未回収リスクの保証は確かに魅力的ですが、一体どうしてそんなことが実現できたのですか?

柴田 最初は、話を持ちかけたお店の方からも「賭けてもいい、その事業モデルは実現できないだろう」なんて言われていました。結果的に実現できた理由は、逆説的ですが、「少額大量の未回収リスクを積極的に請け負ってきたから」だと言えます。

どういうことかと言うと、1つには、少額のリスクを大量に請け負っていれば、大数の法則でリスクが安定化してきます。最初は大変ですが、数を請け負っていればそのうち平均値に落ち着いてくるわけです。そしてもう1つ、支払い歴のある優良なリピーターが増加するにつれ、未払い率は低下していきます。

この2つの法則が働くことにより、積極的にリスクを請け負うことでリスクが安定、そのうちに無理なく未払い保証ができるに至りました。現在では7割以上がリピーターですので、未払いリスクはかなり下がっています。

――なるほど。スタートから3年かけて後払いサービスを軌道に乗せられるわけですが、まったく新しいサービスを実現するにあたって、他にどんなご苦労がありましたか?

柴田 のちほどお話しする当時の会社の状況が苦労の根源ではありましたが、事業面で言えば、「①どうすればショップさんが利用してくれるか」「②どうすればお客様のリスクを請け負えるか」「③物量が上がってきたとき、オペレーションコストが跳ね上がるのをどう処理するか」という3つの課題を同時並行で解決していくのがとにかく大変でした。

①については先ほど述べたとおり「未回収リスク保証? 実現できたらいいけど、絶対無理だよ」と言う人も多かったですし、②についてはリスクが安定するまではとにかく我慢、③については工数を減らし、コストを下げないと事業として成り立ちません。

しかし、それらの課題をクリアして目指すサービスを実現できれば、ユーザーにも店舗にも絶対に喜んでいただけることはわかっていましたので、とにかくすべての仕事を自分でやってでも実現するぞという気持ちは強かったですね。

――今でも「社内にやったことのない仕事はない」とうかがっています。

柴田 そうですね、社内にある仕事はほとんどすべて経験していると思います。営業はもちろん、スタート当時は土日の与信審査なんて誰もやってくれませんから、それも自分でやっていました。最初に契約してくれたお客様のことは今でもよく覚えています。埼玉の奥地でネット通販の副業をされていた方のところへ営業に行きました。その方がお客様第1号です。

あとはこの頃から、ブランディングに非常にこだわっていました。たとえば今、後払いをやる会社は増えてきましたが、当社の督促状が一番「きつくない」書き方なのではないかと思います。言葉を選ばずに言えば、脅すような文面のほうが回収率はいいのですが、創業当時からそういった言い回しは極力使わないようにしていました。返済に詰まった人が脅されるような文面を受け取ったら、金輪際その会社のサービスは利用したいと思いませんよね。そういった点も考えに考えて、自分で督促状の文面を考えたりもしていました。

(写真=The 21 online)

 

実現できると信じていたのは自分1人だけだった

――そもそも、日本初のサービス実現を目指すきっかけはなんだったのでしょうか。

柴田 古い話になりますが、1998年に大学を卒業し社会人になった私は、漠然と「何か大きなことをしたい」という想いをもって商社に入りました。時代はまさにIT勃興期。ITが社会を変えていく予感がひしひしと感じられて、自分もそれに携わりたいと思いました。しかし、商社の中ではなかなかチャンスの順番が回ってきません。だから、当時は転職もあまり一般的でなかったのですが、えいやでIT系ベンチャーキャピタルに転職しました。そこで先輩のサポートというかたちで買収したのが、ネットプロテクションズでした。2001年のことです。

そのベンチャーキャピタルは、買収した会社に経営陣を送り込むという手法をとっていたので、先輩と私が取締役として出向したわけです。当初私は、出向先でITビジネスについて勉強し、ゆくゆくは起業するつもりでいました。

――出向した当時のNPの状況はどんな様子でしたか?

柴田 ここは表現が難しいところでもあるのですが、端的に言えば悲惨な状況でした。「後払い決済」というアイデア自体は「やれたらいいよね」というレベルで既にNPに存在していたのですが、構想も何もあったものではなく、「ぼんやりとしたアイデア以外に何もない」状態。業績も非常に厳しく、あと数か月もその赤字が続けば潰れてしまうという局面でした。それならなぜ買収したのか、と聞かれると、困ってしまうのですが……(苦笑)。

とにかく、私から見ても「これは厳しいんじゃないか?」と感じましたし、社員としても、当時25歳を過ぎたばかりの私が突然取締役として入ってきてあれこれ言うわけですから、愉快であろうはずもありません。こちらは「潰すわけにはいかない」と躍起で、あちらは「コイツは一体なんなんだ」と腹を立てている、それはものすごい温度差でした。

一方で、当時の私はマネジメントのマの字も知らない若輩者でしたから、温度差をどうすることもできず、見て見ぬふりをして働くような日々でした。

――そんな環境でどうやって事を進められたのですか?

柴田 協力などはなかなか望めないものの、一方で、誰にも邪魔されることなく思うとおりにできたのです。私にしてみれば、出向した先の会社をすぐに潰すわけにはいきません。出向先をたちまち大赤字で潰したとなれば、私のキャリアは終わりです。後払い決済サービスを実現できるかどうかにかかっているわけですから、なりふりかまわず働きましたね。

――実現できる気はしていたのでしょうか?

柴田 そうですね。やってやれないことはないと思っていましたし、何より「実現できたら面白いだろう」と思っていました。当初は絵空事に等しかった後払い決済サービスですが、これが実現できればその先の可能性は無限大です。同じ手法でBtoBは絶対につかめるし、それで土台ができれば会員制にもできて、ECのみならずリアルにも進めるはずだし、そこまで行ければネットワークもデータ量も溜まっているから、広告や金融といった事業にも展開できるし……などなど。

とくに会員制の後払いサービスについては、この頃から「絶対にいつか実現するぞ」と心に決めていました。

しかし、そうやって事業展開の道筋は描けても、必要なデータなどは何もない。本来ならリサーチから始めるところを、そんな時間もなく、ひたすら「ユーザーだったらどう感じるか」「ネットショップだったらどんなサービスが嬉しいか」を考え、想像して、1つひとつ形にしていきました。

(写真=The 21 online)

 

孤軍奮闘を経て黒字化、そして組織の立て直しへ

――孤軍奮闘の中、モチベーションはどこにあったのですか。

柴田 事業的にも環境的にも大変だったのは間違いないですが、私にとってこの期間、働きに働いたことは、最高に面白い経験でもあったのです。商社時代には、既存顧客とのトレードの運用業務という安定的な仕事をしていたので、NP初期時代は「潰れるかも」という恐怖と隣り合わせだったとはいえ、「これが仕事か」という実感を初めて得られてもいました。

時間のあり余っていた商社時代に勉強していたアメリカのビジネスモデルや、他部署に顔を出しては眺めていたプロジェクトの回し方など、「いつか自分でやれたらな」と思いながらインプットしていたものを実行できるのが面白く、没頭しました。やったことがそのままかたちになる手応えはたまりませんでしたし、それを数か月続けたら会社が潰れる心配もなくなって、「自分は社会に通用するんだ」という手ごたえを初めて感じることができたのです。

――反発心でいっぱいの社員に動いてもらうのは大変ではなかったですか?

柴田 それが、あまり動いてもらう必要はなかったのです。15人くらい社員がいたものの、事業と呼べるほどの事業はありませんでしたし、後払い決済については本当にゼロからのスタートだったので、私1人が動けばなんとかなってしまったのです。仕事自体は自分1人で起業してやっているようなものでした。

――職場環境としては大変厳しかったと思いますが、2004年に社長に就任されました。もう辞めようと思わなかったのですか?

柴田 2001年の出向から3年が経ち、後払い決済のシステム構築ができて事業としての目処が立ちました。しかし、組織としては相変わらず非常にしんどいものがあり、事業が波に乗ったところで私は雇われ社長だったのでうまみもありません。NPの立て直しを経て30歳になり、周囲から「出資するから起業してみないか」というお声もかけていただきましたし、正直、心が揺れないではありませんでした。

しかし同時に、その頃にはもう、自分に協力してくれたお客様や、口説いてNPに来てくれたCTO、出資してくれた人々など、私やNPを支援し、助けてくださった人たちがいました。その人たちへの責任や感謝を無視して投げ出すことはできない、という結論に至ったのです。一緒に出向した先輩は財務畑の人で、私以外に社長をやる人もいませんでした。

そうして社長を引き受けましたが、自分の時間はまったくなく、組織は変わらず難しい状態で、07年頃までは、社長をやりながらも精神的には辛かったですね。

――今では、柴田社長はNPという会社を深く愛されているのが伝わってくるのですが、辛かった社長時代にどんな変化が起きたのでしょうか?

柴田 変化としては、まず2008年頃、黒字化したくらいのタイミングで、未来の事業ビジョンが完全に見えたことが挙げられます。先に述べたとおり、私は2001年の時点で既に会員制の後払いサービスという夢を描いていました。今年6月にリリースした会員制カードレス後払い決済サービス「atone」の骨子は、当時からできていたのです。「ここまでやれたら」という想いをずっと持ちながら、それ以前の段階の「後払い」が非常に大きなハードルで、長らく手こずっていたわけです。

それが、黒字化と同時に道が開けました。「ここまで来られたら、会員制サービスまで絶対にいける!」と、事業に対する気持ちは一層強くなりましたね。やっと自分がやりたかったビジネスに進めると、事業自体に完全に惚れ込んでいました。

――事業が上向いたタイミングと、組織が改善するタイミングは一致していたのですか?

柴田 していませんでした。本当に胸を張れる組織になったのは、2013~14年頃です。今でこそFintechなどの言葉も浸透しましたが、2008年頃は「決済」といえば地味で、そもそも人が集まりません。いい人が採れたと思ってもすぐ辞めてしまって、離職率は非常に高く、社員を留められない私は「ダメ社長」と言われ続けていました。

2007年からは新卒採用も始めましたが、頑張っていい人材を口説いても、会社のほうに受け入れ態勢がまったくできていませんでした。会社の風土も教育体制もあったものではなく、先輩社員が「この会社はやめたほうがいいよ」なんて言っているのですから、新入社員が定着しないのも無理はなかったと思います。黒字化しても、組織はそんな内情のまま。なんとかしなければいけないという気持ちが強くなりました。

(写真=The 21 online)

 

社長の発言も「一意見」社長は「村長」みたいなもの!?

――そこからどうやってGPTW(Great Place To Workc)「働きがいのある会社ランキング」に選出されるまでの組織に変えていかれたのですか?

柴田 一所懸命採用しては辞め、採用しては辞め、を繰り返す中でも、少しずつ人の入れ替えは進んでいきました。何年もかけて、新卒が少しずつ残り、中途も価値観の合う人が少しずつ残っていきました。

そして新陳代謝が進んだ2012~13年頃、意を決し、全社で会社のビジョンを本気で話し合う時間をとったのです。1年間かけて、「理想の会社とはどんな会社だろう」というテーマで、社員全員で話し合いました。明確にビジョンが定まったことで、方向性を異にする3分の1くらいの社員がここでまた辞めましたが、それにより組織としてのコアが固まりました。

当社の理念である「つぎのアタリマエをつくる」という標語も、ここで固まりました。2001年以来、そうしたコンセプトでやってきたものの、全社に共有できていなかったので、この言葉化も大きな一歩でした。会社のビジョンが定まることで全体のベクトルが合い、社内の整備が進み、新卒が入ってきたらしっかり受け止められるようになり、教育体制もできました。結果、2014~17年で採った新卒64人のうち、63人が残ってくれるまでになりました。

――今、社員の年齢や新卒のボリュームはどのようなバランスなのですか?

柴田 現在、正社員の数は100名強。そのうち8割近くが新卒層で、平均年齢は27-28歳です。私が入った当時とは、社員の数も質も様変わりしましたね。

――現在のNPは、どんな社員が集まる会社になったのでしょう?

柴田 生意気なヤツばかりですね(笑)。能力は高く、支配や抑圧を嫌い、自分がやるべきことを自ら定めて動ける人たちです。自分の納得いかないことには絶対に首を縦に振らず、納得できなければ、納得するまで話し合う。昔の私に似たタイプと言えるかもしれません。

そんな人ばかりなので、会社と個人の関係が、普通の企業とちょっと違うのかなという気がします。「会社に自分の席はあるけれど、その席でやる仕事は自分で決めている」という感覚を、多くの社員が持っていると思います。新入社員であっても、「朝から晩まで、先輩に言われたとおり働いている」という人はいないのではないかと思います。

社風として、「自分の頭で考えること」と「相手の意見を尊重すること」を非常に重んじるので、会議には賑やかなブレストタイムもあれば、将棋の長考のように、みんなが互いの意見について考え込んで、シーンとする時間もあります。

――そのような会社にあって、社長としてどんな役割に徹されているのですか?

柴田 社長というよりも「村長」と言ったほうがしっくりくる感じですね。社長は王様ではない、ということです。多くの社員が20代で、みんな若いですが、私が言ったことに対しても、納得できなければ「それはこうなんじゃないですか?」と普通に返してきます。もちろん、新入社員であっても。

当社では、立場や年齢はほとんど関係なく、議論も非常にフラットに行なわれます。みんなそれに慣れているので、私が指示のつもりで伝えたことすら、社員にとっては“一意見”扱いなのではないかと思うほどです(笑)。

――逆風の中、トップダウンでやるしかなかった柴田社長がそのような組織を作られるのは、意外な気もします。人を束ねるには力を用いるべきだとか、そういう思考にはならなかったのですか。

柴田 当時の私を知っている人は、当然、私をワンマンだと思っているでしょう。事業を成り立たせるために、トップダウンでやるしかなかったですから。でも私は、もとよりトップダウンが大嫌いです。自分がされるのはもちろん嫌ですし、人にやるのだって嫌でした。創業時はそうするしかなくてワンマンで進めていましたが、その間も「こんなやり方は嫌だ」とずっと思っていました。だから、会社を生まれ変わらせる際には、そういう組織にだけはしたくなかったのです。

(写真=The 21 online)

 

「つぎのアタリマエ」を生み出す組織へ

――15年近くかけて胸を張れる組織になったNPの、今後の展望を教えてください。

柴田 サービスについては、ずっと溜めてきた水がようやくあふれ出したという感覚です。「NP後払い」をスタートしてから、累計ユーザー数1億人、導入店舗2万件超えに至るまでに蓄積された膨大なデータ、積み上げてきたお客様からの信頼、そして磨いてきたオペレーションノウハウ。これらを溜めて溜めて、あふれた水から「atone」が生まれたように、これからも新しいサービスやシステムがどんどん湧いてくるでしょう。

他社にはない蓄積があって、強いサービスがあって、いい社員がいる。こうなると、もう「自然に伸びていくな」という感じがあります。事業をどう展開していくかという大きなところから、1つひとつのサービスの細かい作りまで、やることは無限にありますが、今の組織ならば面白がってやれる自信があります。今後については、楽しみでしかたないという気持ちですね。

――では、集まった社員たちにとってはどんな会社でありたいとお考えですか?

柴田 実は、当社の理念「つぎのアタリマエをつくる」の中には、事業面だけでなく、組織の在り方のイメージも含まれています。NPは「これまでとは違う会社の仕組み」を実践し、それを世の中に提案して、アタリマエにしていきたいと考えているのです。

これまでとは違う、新しい会社の条件は、「成果を挙げること」「人がダイナミックに成長できること」そして「みんなが幸せであること」の3つです。これを本気で追求すると、今までの企業とはまったく違った仕組みになっていくと思っています。

――具体的にどんな新しい仕組みが考えられるのでしょうか。

柴田 たとえばうちの社員は、みんながみんな何かしら、仕事とは別に「個人的にこういうことをやってみたい」という意志、つまり「WILL」を持っています。社会課題を解決したいという思いの強い社員がたくさんいるのです。私は今後、そんな1人ひとりの「WILL」を、NPにいながら実現させてもらおうと考えています。

会社はビジネスで儲かることだけやっていればいいとは、私は思いません。いっそ、会社の中にNPOをやっている人がいたっていいと思っているのです。仕事は仕事で回せていれば、あとは社員1人ひとりが独自のリーダーシップを伸ばし、発揮できるようサポートする。そうすれば、社会を変えていくような動きをより豊富に起こしていけるでしょう。

そのためには、給与もベーシックインカムにして、ビジネス半分、NPO半分の人がいてもきちんと評価できるようにしたらどうだろうか、といったことも考えています。

――斬新ですが、本気度が伝わってきます。他にもユニークな施策などありますか?

柴田 当社には「ワーキンググループ」というものがあって、やりたい人がやりたいことをやれる仕組みになっています。採用や風土構築など、組織運営の根幹に関わるイベントも、毎回、挙手制でワーキンググループを作ってやっているのです。

こういったものを全部、社長とか人事がやってしまうと、社員は組織への愛着が湧かないし、面白くありません。だから、なるべく多くの社員が組織のさまざまな部分に触れられるよう、ワーキンググループ制度があるのです。

おそらく今、既に社員の半数くらいが採用を経験しているのではないかと思います。私も最終面接はしますが、前段階を見る社員から「あの人は通してくださいね」と指令が飛んできたりします。

――ベンチャー的な社風の組織に、ベンチャー気質の社員が多いということは、将来的にはそれぞれがNPで学び、独立して巣立っていくイメージでしょうか?

柴田 当社では、部署異動の希望も、本当に特別な事情を除いて100%通ります。ビジョンシートというのを半年に一度全員が書き、全社公開します。「自分はこういうキャリアビジョンを持っているので、そのために次はこの部署に異動したい」というのを開示するのです。社長の私は、それを実現しなければなりません。人を動かす動機として「WILL」に勝るものがないことは巷で言われているとおりですが、その前に、当社の社員は、強制したら絶対に動いてくれませんから……(笑)。

その代わり、当社の社員は、納得感があるときや「WILL」に沿っているときの動きは随一です。ベクトルを一にしながらそれぞれが強い意志を持つこの社員たちなら、まだまだたくさんの「日本初」「前人未到」「不可能とされていたこと」を実現できるだろうと思っています。

自走する組織を作りたいなら、自走できるだけの仕組みを整えなければいけません。そんな会社の仕組みを実現できれば、自立心が強く生意気なうちの社員たちも(笑)、案外辞めずにうちに居続けるのかなという気がしています。

新しいアタリマエが生まれる組織

取材中、印象に残る2つの言葉があった。1つは社長である柴田氏の「僕、この組織が大好きなんですよ」という言葉。「社員のみんなが躍っているのを見るのが楽しくてしょうがない」と言う。もう1つは、同席していた広報担当H氏の、「社長は『役立つ意見をくれる人』」という言葉。不可能を可能にした社長と、そんな社長に対して絶対の信頼を置きつつもあくまでフラットな社員。柴田氏の、「H、おまえなあ」と言う笑顔が心に残った。

「組織はトップダウンしかありえない」と言われた時代から、ホラクラシーなどピラミッド不要の組織論が語られる時代となった現在だが、柴田氏が幾多の苦難を乗り越えて作り上げた理想郷、ネットプロテクションズが、他のどことも違う、独自の「つぎのアタリマエ」を見せてくれることを期待したい。

柴田 紳(しばた・しん)[株]ネットプロテクションズ代表取締役社長
株式会社ネットプロテクションズ代表取締役社長(CEO)。1975年、福岡県生まれ。一橋大学卒業後、98年、日商岩井株式会社(現・双日株式会社)入社。2001年、IT事業への興味からITX株式会社に入社し、同年、買収先である株式会社ネットプロテクションズへ取締役として出向。04年、同社社長に就任し、転籍。日本初の後払い決済システムをゼロから構築・成功させ、累計利用ユーザー数1億人&100万社を突破。2017年6月にはカードレス決済の新サービス「atone」をリリース。(写真撮影:中條未来)(『The 21 online』2017年07月27日公開)

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