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「町工場の星」はいかにして、ピンチを好きになれたか 諏訪貴子(ダイヤ精機代表取締役)

逆境ほど、乗り越えた先には思い出になる

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(写真=The 21 online)

 

精密金属加工メーカー・ダイヤ精機の社長・諏訪貴子氏は、先代社長だった父の急逝を機に経営を引き継ぎ、経営難に陥っていた同社で数々の経営改革を断行。リーマン・ショックや東日本大震災などの危機も乗り越え、業績を好転させた。社長就任時、専業主婦だった諏訪氏にとって、社長になるのは大きな決断だった。当初は社員からも反発された中、どのようにモチベーションを保ってきたのか。《取材・構成=前田はるみ、写真撮影=吉田朱里》

社長就任後すぐに「パンツスーツ」を買った理由

東京・大田区の町工場が連なる一角にある、社員数40人ほどの精密金属加工メーカー・ダイヤ精機。同社を率いる諏訪貴子氏は、先代社長だった父の後を継ぎ、低迷していた業績を見事回復させた。その経営手腕は、多くの中小企業経営者から注目され、「町工場の星」と呼ばれる。しかし、社長就任当初はモチベーションを失いそうになることもあった。どう乗り越えたのだろうか。

「今思えば、社長就任の決断をするときが一番つらかったです。父の急逝を受けて社長を引き継ぐことになったものの、当時の私は専業主婦で、夫の勤め先のアメリカに移住するつもりでいた矢先の出来事でしたから。ただ、そこで思ったのです。一度きりの人生だから、今できることをやるしかないと。『後悔しない人生を歩むんだ』という決意が、モチベーションにつながったのかもしれません」

まず実践したのは、「形から入る」ことだった。

「男性社会に入っていくので、まずはパンツスーツを買いそろえました。気持ちが追いついていない分、形から入ることで、『自分が会社を引っ張っていかなきゃ』とスイッチが入ったのを覚えています」

社員の猛反発。そこで背中を押した言葉とは?

会社を立て直すため、諏訪氏は経営改革に着手。たとえば自社の四十年分の経営データを読み解くとともに、取引先に自社の強みを聞いて回った。すると、「納期に仕上げてくれる」などの対応力を挙げる取引先が多かった。そこで、強みである対応力をさらに高めるために生産管理システムの見直しやコスト削減を行ない、納期のさらなる短縮に成功。今ではこの画期的なシステムを、大田区の他の町工場も導入している。

しかし、大胆な改革は当初、社員からの猛反発に遭い「最初は毎晩ベッドの中で泣いていた」と言う。そんなときある言葉に出合い、再び気持ちを奮い立たせることができたという。

「ある人に勧められた哲学者などの名言を集めた本で出合った、『世の中には幸も不幸もない。考え方次第だ』というシェイクスピアの言葉です。その一節を読んで、目の前の霧が晴れたような気がしました。『大変』とか『苦労』とか言いますが、すべて自分で基準を決めているんですよね。何事も考えようで、『今の状態は苦労に値しない』、むしろ『他の仕事では経験できないことを経験させてもらえる自分は、なんて幸せなんだろう』と考えることで、モチベーションにつながりました。

たとえば社員の反発にも、最初は『なぜ私の気持ちをわかってくれないのだろう』と悩みましたが、裏を返せば、ぶつかってでも社員が会社に残ってくれるのはありがたいことです。真剣に会社を良くしようと思ってくれているのですから。『自分は社員に恵まれている』と考え方を変えることで、前向きに頑張れるようになりました」

(写真=The 21 online)

 

出張時に必ず行く「やる気スポット」とは……

いつも笑顔を絶やさない諏訪氏は、他人からはストレスがないように見られることがあるという。「ストレスを自分の中でうまく発散させて、モチベーションに転換できているのかもしれません」と話すが、普段のモチベーションコントロールは、どのようにしているのだろうか。

「楽しいことを見つけることです。仕事でもプライベートでも、新しいことに挑戦し、思いついたことをすぐ実践するのです。

たとえば、数百人規模の大きな会場で講演を行なうときは、プレッシャーもありますが、それ以上に来場者の方に楽しんでもらえるかどうかが気になります。そこで、講演前に受付に立ってみたり、会場の空席に座って来場者の方に話しかけたりしています。『今日は何を楽しみに来られました?』『上司に言われて来ました』『何か一つでもヒントを持ち帰ってくださいね』と言うと、『えっ、講師の方ですか?』と驚きます。誰もやらないことをやって、人が喜ぶのを見るのが好きですし、それがやる気につながります」

また、夢を追いかけることも、モチベーションの大きな源だ。

「町工場に囲まれて育った私は、子供の頃から生き生きと働く職人さんたちを見てきました。今、日本の中小製造業は苦境に立たされていますが、再び日本のものづくりに活気を取り戻したい。これが私の夢です。近い未来だけを見るのではなく、遠い将来のことを考えると、『今起きていることは成長の過程なんだ』と思えて、力が湧いてきます」

自分の夢を再確認し、やる気を高めるために諏訪氏が習慣にしていることがある。地方出張の折に、城に登ることだ。

「先日も高知出張のついでに、高知城に寄りました。天守閣に登って、『天下取ったるぞー!』と叫ぶのです。周りにいる人は驚きますが、誰も私のことを知らないので気にしません」

ピンチこそ後で笑える。だからやる気も出る!

さまざまな困難を乗り越え、「今では逆境のときほどやる気が出る」と諏訪氏は話す。

「ピンチが大好きなんです。先ほどお話しした講演会についても、始めたばかりの頃は、『面白くない』『つまらない』という厳しい評価ばかりで落ち込みました。でも、辛口のコメントをもらうほど燃えるのです。『この人たちにいつか面白かったと言わせるぞ』って。

それで、どうすれば満足してもらえるのかを必死で考えました。二時間の講演で、何か一つでもヒントになることがあれば喜んでもらえるのではないかと考えて、盛り込む内容を絞ったところ、好評価をいただけるように。今では全国各地から講演のご依頼をいただくようになり、年間百回以上も講演をしています。ピンチのときこそ、どうすれば上昇できるかを考えるチャンスだと思います」

逆境ほどやる気が出るという、そのパワーはどこから生まれるのだろうか。

「私も初めからピンチが好きだったわけではありません。でも思い返せば、過去のピンチを乗り越えてきたからこそ『今』があり、それを笑って話せる自分がいます。次にまたピンチが訪れても、これを乗り越えればもっと成長した未来の私がいると思うと、ワクワクします。同窓会などで盛り上がるのは、『部活の練習が大変だったよね』『あのときの先生は厳しかったな』などいう話ですよね。辛いことを乗り越えたからこそ、今の自分がいる。その自覚があるからこそ、笑って語り合えるのだと思います。

地道な努力は、絶対に自分を裏切りません。そういう体験を積み重ねてきたから、ピンチのときにも努力ができる。深刻なピンチに陥っても、『自分ならなんとかできるだろう』という自信もあります。私がこんなに努力してもなんとかならなければ、世の中の企業は全部ダメだろうな、くらいに思っているんです(笑)」

諏訪貴子(すわ・たかこ)ダイヤ精機〔株〕代表取締役
1971年、東京都生まれ。成蹊大学工学部卒業後、自動車部品メーカーのユニシアジェニックス(現・日立オートモティブシステムズ)入社。98年から2000年にかけて2度、ダイヤ精機に入社するが、経営方針の違いから2度ともリストラされる。04年、父の急逝に伴い、ダイヤ精機社長に就任。経営改革に着手し、10年で優良企業に再生。経済産業省産業構造審議会委員、政府税制調査会特別委員、「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」大賞受賞。著書に、『町工場の娘』『ザ・町工場』(以上、日経BP社)がある。(『The 21 online』2017年10月号より)

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