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日中間に、インターネットで橋をかける!【連載 経営トップの挑戦】第24回 翁 永飆

シリアルアントレプレナーの実行力とは?

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(写真=The 21 online)

 

2019年には200兆円を超すと見込まれている中国のEC市場。今や中国では、「買い物はネットで」が当たり前になりつつある。そんな世界一アツい市場を横目に、どう打って出ればいいのかわからない日本のメーカーは多い。そこで、日本の商品を中国市場にマッチングさせるべく、中国のユーザーに刺さる商品情報の作成から物流、決済、エンドユーザーへの配送までを一手に引き受けるのが、翁社長率いるInagora(以下、インアゴーラ)だ。越境ECサービス「豌豆(ワンドウ)」では、中国の保税倉庫を介さずに「直郵」という形態をとれるため、これまで扱えなかった賞味期限の短い商品も扱えるようになるなど、既存の越境ECとは一線を画している。結果、創業3年目の現在、提携先は2200ブランド、取り扱い商品は4万に迫る勢いだという。

日本商品特化型 越境ECアプリ「豌豆公主(ワンドウ)」(写真=The 21 online)

 

すべては強い好奇心と冒険心から始まった

――翁社長は上海で生まれ、高校生のときには「将来、日本に行こう」と決めていたそうですね。

翁 はい。当時、テレビで見る日本は中国よりもずっと豊かで先進的でした。ソニーが世界を席巻していた時代です。中国でももちろん衣食住は足りており、貧困を感じたりはしませんでしたが、当時は今より少し閉鎖的で、海外に広がる世界に対する興味がすごく強かったですね。「日本に行けばきっと面白いことができるぞ」と感じていました。

――そして実際日本へ渡られ、日本の大学に入学するわけですが、来日までに不安や周囲の反対はなかったのですか?

 家庭の教育方針もあり、私は「やればなんとかなる」精神で生きています。日本に行って、どうにもならなければホームレスでもやってしのごう、くらいに思っていました。

小さい頃から冒険心が強く、小学生のときは携帯も公衆電話もない中で2時間かけてバスを3回も乗り換え、1人で遠くに住む祖母を訪ねたりしていました。中学から全寮制の学校に入り、友人と2人で宿もとらずに遠い州まで自転車旅行に行ったり。そうした冒険に私はとてもワクワクし、成功したときには大きな達成感を感じました。ですから、日本へ行くことについても、ためらいなどはまったくありませんでした。

とはいえ、福建省からゴザ1枚持って上海へ出てきた父は応援してくれたものの、母にはずいぶん心配をかけました。日本へ渡るときには「何もそんなチャレンジをしなくたって、普通に中国の大学へ行けばいいのに」と。さらに伊藤忠を辞めるときには「せっかくいい会社に入ったのになぜ辞めるのか!?」と(笑)。将来、成功して日本旅行に招待するから、などと言いながら、なんとか説得しました。

――たしかに伊藤忠を辞めるのはもったいないですね(笑)。最初から、いずれ起業するつもりで入社したということですが、退社時、現在に至るまでの道筋は見えていたのですか?

 見えているわけがありません(笑)。そのとき決めていたのは、「インターネットビジネスで起業する」こと、そして「大きいことをやろう」という2つだけでした。ソフトバンクの孫さんも、ソフトウェアを扱っていた頃、まさか今のように通信で世界を制すことは考えていなかったでしょう。ことネットビジネスにおいて、最初から道筋が決められて、しかもその道筋どおりに進捗するなどということはありえないと思います。

――ネットビジネスは変化が速いですが、付いていける人/企業と、付いていけない人/企業は、何が違うのでしょうか?

 付いていけない要因はいろいろあるでしょうが、少なくとも企業について言えば、経営者のふるまいは大きいでしょうね。リアルビジネスより変化が速く、しかも変化が激しいインターネットビジネスでは、変化に「付いていく」のではなく「リードしていく」必要があります。

2000年からの期間だけでも、ネット関連の企業やビジネスモデルは様変わりしたと思います。生存能力とはすなわち、変化に付いていく力。キングソフト時代によく言っていたのは、「どうやって社員1人ひとりが変わっていくか」ということです。経営者である私の限界がそのまま会社の限界になるのが怖かった。45歳の誕生日会では、「45歳の僕が『この先のインターネットはああだ、こうだ』と会社の方針を語っているのはおかしい。20代が次の技術やビジネスモデルを考え、僕がそれをサポートするくらいにならないと!」と話しました。軽い引退宣言ですね(笑)。

――キングソフトはネットの激流の中、どのように飲み込まれずに歩んできたのでしょうか。

 キングソフトは創業当時、セキュリティソフトを扱っていました。オフィスソフト分野でマイクロソフトの牙城を崩し、話題なりました。その第1幕のあと、第2幕ではClean Master、WowTalk、CAMCARD BUSINESSなどのビジネスSNSを扱いました。そして第3幕は、生放送動画配信サービスのLive.me。キングソフトでは今や「いかにして芸能人を引っ張り込むか」なんて議論が行なわれていますが、もとはソフトウェア屋だったわけです。

創業当時から事業内容を変えず、まだオフィスソフトだけやっていたら、今頃、誰からも見向きもされなくなっているでしょう。新規事業はたいてい私が「やろう、やろう!」と言って始めたものが多いですが、それでは私の老化とともに会社も老化してしまいますから、そうした提案を若い社員から出してほしいと常々語りかけていました。

――と、おっしゃっていた矢先に、ご自身がインアゴーラという新会社を立ち上げられたわけですか(笑)。

 そうですね(笑)。

(写真=The 21 online)

 

起業家精神は「育てられる」もの?

――翁社長のシリアルアントレプレナーシップはどのように培われたのですか? また、人に伝承することは可能だと思いますか。

 自分で培ったという意識はなく、培う方法も思いつきません(笑)。私自身、意図的に複数の会社を立ち上げたわけではなく、後から振り返れば結果的にこうなっていたという状況です。最初にやっていたJWordがGMOに買収されたときは、私は自ら経営するために会社を辞めて独立したので、これはちょっと違うなということで起業しました。そういう意味では、JWordが買収されていなければ今頃は、JWordで上場していたかもしれません。

後継の人たちのアントレプレナーシップについては、JWordのときから独立したいという社員がたくさんいたので、そういう人のことはずっと応援してきました。その人たちの中から、大きな成功を収める人が出てくることを期待しています。

――インアゴーラについて質問です。越境ECサービスは、なぜキングソフト内ではなく、新会社設立という形態をとられたのでしょうか。

 キングソフトでは、最初の5年間はほとんどPC事業、2011年からはほとんどスマホ事業(一部タブレット)に集中していました。3社目のインアゴーラは、これまでにやったことのなかったEC事業です。eコマース事業は実はずっとやってみたかったのですが、ものすごくお金がかかるんですね。親会社がいて既存株主がいるキングソフトでは何十億円という資金調達は難しいだろうと思い、新しく会社を立ち上げることにしました。

――EC事業をやってみたかった、というのは?

 ネットのビジネスモデルは大きく分けて4つあります。1つ目は広告ビジネス。DAU(アクティブユーザー数)を増やし、広告費で稼ぐモデルです。2つ目は課金ビジネス。ユーザーから直接お金を集めるモデルです。3つ目がネット通販などの電子商取引eコマースで、4つ目がトランザクションビジネス。手数料で稼ぐモデルです。

eコマースは、ずっとネットビジネスをやってきた者からすると、「人間度」が濃い。モノを売ることで、モノを介して人間を感じられるのです。他の3モデルでは、ユーザーが1億人いると言われても、その実感が湧きません。リアルの接点が薄いし、見えない。だからこそ、「この水が何本売れた」とか、そういうのをやってみたかったのです。

――新しい事業をやるリスクはなかったのでしょうか?

 インアゴーラは、今までやってきたすべての事業の延長線上にあると思っています。私が急に、門外漢である飲食業などにチャレンジしても、なかなか難しいでしょう。その点、インアゴーラはこれまでやってきたすべての事業につながっています。経験や人脈をリセットするのではなく、過去やってきたことをすべて継承する事業なので、特別リスクは感じませんでしたね。

(写真=The 21 online)

 

越境ECと“爆買い”に見出した勝機

――他に、インアゴーラ設立の重要な決め手となったことはありますか。

 当時、「時代の潮目が見えた」というのは大きかったですね。2014年3月に、私は越境ECという概念を知りました。「中国の服がネット通販アプリを通じ、アメリカでバカ売れしている」と聞いたのです。越境ECという概念に初めて触れ、モノがそういう形で国をまたいで売れるとは面白いなと思いました。

加えて同年7月に、中国におけるSNSショッピングのブームを知りました。個人が小さな商店を開き、クラウドに在庫を置いてモノを売るような、ドロップシッピング的なビジネスです。ドロップシッピングとは簡単に言えば、個人が契約した会社の商品を自分のサイトで独自に紹介し、商品が売れれば報酬を受けとるというシステムです。

この2つを組み合わせると面白いことができるのでは、と思いました。ある国の商品を違う国の人に売るためには、情報をセットで伝達する必要あります。たとえばニューヨークで流行っている商品が日本で売れるのは、誰かが「今、これが流行っていますよ!」とアナウンスしているからで、誰もアナウンスしなければその商品の存在にすら、誰も気がつきません。オピニオンリーダーが勧めて初めて、需要が生まれるわけです。越境ECに「選ばれるための情報」をオンすることを、ここで考えつきました。

――「中国人消費者」が「日本の商品」を欲しがるだろう、という確信はどのように得られたのですか?

 2011年頃、私たちが持っている中国法人において、現地社員の昇給率がおかしなこと(笑)になりました。前年比150%とか200%がずっと続くような状態です。そしてそのうち、日本で中国人による爆買いが始まりました。

新しく生まれた中国人の中流階級が日本製品を欲しがることは当然のことです。中国へ行くたびに物価がどんどん上がるのを目の当たりにしましたが、とにかく急成長なもので、クオリティがついていきません。「このレベルのモノがこの値段!?」と驚かされることも多々。もはやインフレ状態のようなもので、このギャップに日本商品がハマるのです。

日本商品は中国人にとって、クオリティも安心感も段違いに高い。たとえば中国産の70円のお茶と日本産の150円のお茶があったなら、年収100万円の頃は70円のお茶で我慢していた人が年収400~500万円になり、より身体によくて美味しいほうを150円払って買えるようになったのです。エルメスをしょっちゅう買うことはできないけれど、日本のドラッグストアにあるすべてのものはためらわず買える。それが中流階級です。かくして、日本の商品が中国の消費者のストライクゾーンに入ったわけです。

――爆買いを勝機ととらえた人は多くいましたが、あくまでも瞬間風速的な恩恵で終わっているところも多いと思います。インアゴーラはどこが違うのでしょうか。

 中国の消費者は日本語が読めません。日本商品は欲しいけれど、日本に直接行かない限り、どうやって買うのか、という問題が発生します。どんなブランドがあって、どこに行けば買えるのか、わからない。そこで、越境ECの出番です。

モノを運ぶというのは古代から貿易という形態で行なわれてきました。昔は、誰かがたくさんある商品から「これは絶対売れる」というモノを厳選して運んでいました。次にコンテナなどを使って、遠くに、大量のモノを運べるようになりました。これがネット時代になって、「あらゆる商品を、物理的に運ばずして紹介できる」ようになりました。

しかし先ほども言ったとおり、こうなると「選んでもらうための情報」が大変重要になります。「情報に付帯してモノが動くようになった」と言えるでしょう。たとえば日本にある無数の歯磨き粉を中国に紹介するとき、そのうちどれが売れるかは、情報によって決まります。同じブランドの商品でも「あっちは売れてこっちは売れない」ということが起きるのは、その商品に「どんな情報が付いているか」によるのです。

インアゴーラは、中国消費者向けの情報作成し、中国国内のしかるべきところまでその情報を伝達します。中国人“観光客”の興味が日本から離れても、中国人“消費者”の日本商品へのニーズは変わらず高いので、いかに中国国内に直接リーチできるかが重要です。

――やってみたかったeコマース事業に向けて、パズルのピースがきれいにはまっていったのですね。

 これだけそろっていれば、成功のレベルはともかく、失敗の確率は低いですよね。それで、それなら中国の中流階級、つまり「世界で一番アツい市場」には何が売れるだろうかということを考え始めたら、やってみたくてたまらなくなり、インアゴーラを設立しました。

(写真=The 21 online)

 

ネット社会で、情報伝達の難易度はむしろ上がっている!

――今も中国市場に打って出たいと考える企業は多いでしょうが、メーカーが自分でアピールするのはやはり難しいものですか?

 まず、中国の情報の流れは日本のそれとはまったく違います。もう、別世界と言っていいほどです。たとえば日本では、なんだかんだ言ってもいまだにキー局が強くて、みんな同じ番組を見ています。でも中国では、ずっと前から既に多チャンネルが始まっており、みんなが違う番組を見ています。視聴率は1%とれたらものすごいことなのです。紙媒体の存在感がほとんどないのも特徴でしょう。

さらに、TwitterもFaceBookもGoogleもLineもInstagramも、中国にはありません。あるのはWeChat、Weibo、そして大ブームの生放送。しかもそれらのツールの流行がすごいスピードで変わっているため、日本のメーカーが自分で発信しようと思ってもかなり難しいと思います。たとえば「生放送が大人気」と言ったって、「どこへ行って誰と何をすればいいの?」となりますよね。日本ではブロガーやインスタグラマーがオピニオンリーダーで、彼らが勧めた商品に火が着いたりするけれど、中国にはそれらの人はいません。

また、中国も情報過多ですから、1日24時間の中で情報に接している時間は決まっています。その中で届けるのは大変なことです。どれだけ多くの人に情報をデリバリーできるかで商品の売れ行きが決まるので、刺さる情報を作り、それを正しい場へ伝達する情報マネジメントが必須です。情報伝達方法によってコストも変わりますので、どんなスピード感で、どのくらいのコストで届けて、どうペイするか。これをメーカーが自分でやるのは不可能に近いでしょう。インアゴーラは3万5千商品分の情報を作り、それをデリバリーしているわけです。

――まだまだ新しい事業や会社が立ち上がりそうな予感がしますが、シリアルアントレプレナーと言うにふさわしい翁社長が、経営者として大事にしていることはなんでしょうか。

 会社というのは「場」にすぎないと、私は考えています。私は社長で、会社を経営していますが、それは社員に「ステージを提供している」と言い換えられると思います。ですから、社員がよく言ってくれる「翁さんのために、あるいは会社のために頑張ります」ということは、「1ミリも思ってくれなくていい」といつも言っているのです(笑)。

会社は、たまたま同じ方向にあるやりたいことを持った個人が集まった「場」。たまたま今、同じ時間軸と場を共有しているけれど、やりたいことの方向性が変われば、別の道を歩む。だから大切なのは、社員1人ひとりが「今」、「自分のため」に、「自分のやりたいこと」をやることだと思います。「やりたいことしかやらなくていい」とすら私は言っていますし、私自身もこういう感覚を持ち続けたいと思っています。

だから、当社には相手を役職で呼ぶ文化はなく、私も「翁さん」です。また組織には命令系統が必要なので、最低限のラインはあるものの、基本的には独立した個人たちがチームを組んでやっている、という認識です。これが、時代をリードするインターネット企業の健全な姿ではないかと、私は思っています。

類まれなる先見の明でリードする「未来」

市場はあるのに、どうアプローチすればいいかわからない――これは近年、多くのメーカーが感じてきたことだろう。ネット社会が加速すればするほど、人モノカネは国境を越えやすくなり、グローバル化は一気に進んだ。しかしその分、情報があふれかえり、「選んでもらう」ことの難しさはむしろ増したと言えるかもしれない。そこへ来てワンドウは、すべての課題を一挙に解決する救世主だった。常に時代の半歩先を読み「かゆいところに手の届く」サービスを提供してきた翁社長が、今後どのような未来を描き、どんなブームを巻き起こしていくのか、注目していきたい。

翁 永飆(おう・えいひょう)Inagora[株]代表取締役社長
1969年、中国上海市生まれ。高校生のとき日本に行こうと決意し、88年に来日。96年、横浜国立大学大学院電子情報工学研究科修士課程修了。卒業後、中国人として初の新卒採用者として伊藤忠商事に入社。独立の夢を実現すべく伊藤忠を退社後、2000年、JWord[株](現GMOインサイト[株])設立、代表取締役に就任。2005年、キングソフト[株]を設立、代表取締役に就任。2006年、ACCESSPORT[株]を設立。2014年には初の“日本商品特化型”中国向け越境ECプラットフォーム「豌豆(ワンドウ)」を運営するInagora [株]を設立、代表取締役に就任、現在に至る。(『The 21 online』2017年10月16日公開)

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